どうも、コピーライターの水川です。

 

この記事は、水川のプロフィールの続きです。
前記事を読まないと流れがいまいちわからないと思うので、
良ければ先に前記事を読んでみてください。

 

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この記事では、僕が独立を決意した小学生時代の話を含めた、
暗黒の20代前半前期までの話をしたいと思います。

 

…いやいや、小学生って早すぎるだろう!

 

と、思ったかもしれません。

 

ですが、明確に意識したわけではないのですが、
独立というか、雇われるというか、サラリーマンには絶対ならない!
と決意したのは小学生の頃なのです。

 

間違いなくこの頃の経験が、
僕が独立という選択をした要因の1つなのは間違いありません。

 

少し暗い+愚痴っぽい内容になりますが、
はじめていきます。

 

 

父に対して怒鳴り声の印象しかない子供時代

 

 

いきなり暗い話になりますが、子供のころの僕にとって父は、
怒鳴り声の印象しかない恐怖の対象でした。

 

幼稚園のころから、両親は毎日のように喧嘩ばかりしていて、
ものが飛び交うこともしばしばありました。

 

正直、暴力沙汰にならなかったことが信じられないぐらい、
ひどい罵声の応酬を、布団に隠れながら弟と一緒に聞いていたのを覚えています。

 

ただ、成長した今だからわかるのですが、
暴力をふるう度胸のあるタイプの人ではなく、
仕事のストレスを怒鳴ることで解消している感じでした。

 

まあ、怒鳴られる方はたまったものではありませんでしたが。

 

インフルエンザにかかって咳がひどい時、
うるさいと怒鳴られ、無理やり咳を我慢してたら、
肺炎にまで発展して入院沙汰で死にそうな目に合ったこともあります。

 

とにかく、仕事が原因でギスギスする典型的な家庭でした。

 

時には祖母に電話して喧嘩の仲裁をしたりとか、
幼稚園児にしてはファインプレーなこともしたりしたのは、
今ではいい思い出です。

 

 

ちなみにこの喧嘩は、大抵仕事帰りの不機嫌な父が、
母に挑発的な態度を取ることで始まっていました。

 

当時、父が何故不機嫌だったのかの詳細は知りませんでしたが、
理由が仕事であることは何となくわかっていたのです。

 

そしてこの不機嫌は、仕事の都合での転勤が決まり、
引っ越すまでほぼ毎日続きました。

 

なので、こんなに毎日を不機嫌に過ごすことになるなら、
絶対に父と同じ仕事をしない。

 

サラリーマンにはならないと決心したのが小学生のころだったのです。

 

 

この小学生時代が後々にわたって、
サラリーマン、つまり雇われで働くことに対する、
苦手意識を生み出したのでしょう。

 

今こうしてブログを書くことができるようになるまで努力できたのは、
まず間違いなくこの子供時代があったからです。

 

 

不登校+引きこもりのダブルパンチな中学時代

 

 

さて、暗黒の小学時代を過ごした僕ですが、
それ以下になる日がこようとは、の中学時代。

 

 

現在もそうですが、僕はかなりの人見知りです。

 

なんで人見知りなの?と思うかもしれませんが、
それは僕自身が知りたいぐらい、いつの間にか人見知りでした。

 

 

それでも、両親の仕事の都合で転校するまでは、
本当に小さな頃から一緒の友達が、
数は少ないですがいました。

 

一緒に遊んだり笑い合ったりすることもあったし、
両親の喧嘩による暗い気持ちも吹き飛ばすことができたのです。

 

しかし、転勤によって子供の頃から過ごした場所や友達と離れ、
転校することで全てが一変しました。

 

自分の人見知り、対人関係能力は、
最底辺であることを自覚したのです。

 

なぜかというと、この転校をしたのが小学5年生の時なのですが、
当時、教室の前に立たされてやった転校の挨拶。

 

この時の記憶が飛ぶレベルです。
何言ったのかも何を思ったのかも覚えてません。

 

というか、転校後のクラスメートや先生の顔なんかも、
ホントの話、誰一人覚えていないのです。

 

まるで記憶喪失でも起こしたような感じです。

 

しつこいようですがホントの話ですよ。

 

なので、正直この時期についてはほとんど話せることはありません。

 

ただ、人とコミュニケーションをとるということが、
人よりも圧倒的に苦手であることを思い知らされただけ。

 

そして転校後、いつの間にか重度の人見知り+対人スキルゼロの状態で、
中学に進学です。

 

 

この後も、特に話すことはありません。

 

人付き合いが嫌で、3年間不登校。

 

正確には別室登校というよくわからない制度で、
1年の半分ぐらいは学校には行ってましたが、それだけです。

 

正直、この頃の僕はほんとに無気力でした。

 

将来の夢とか、友達との付き合いとか、部活とか、
青春とか、恋とか。

 

普通の学生が楽しむ、楽しみたいと思うようなものに、
何の興味もなかったのです。

 

父の不機嫌な態度と喧嘩の絶えない家庭は、仕事、働くこと、家庭を築くこと、
つまりは将来に対しても、夢や希望を持てる要素がありませんでした。

 

何も考えずぼーっとする事と昼寝だけが、
僕の楽しみのすべてでした。

 

そんな感じで中学を卒業し、
高校ぐらい卒業しないとという母の言葉に従い、
高校に進学したのです。

 

 

はじめて夢を持った高校時代

 

 

高校に入学したはいいですが、
先程も言ったように、夢やらなんやら何もないわけですから、
変わらず半年ぐらいは無気力に過ごしました。

 

ただ、この頃になると漠然と将来に対する不安は生まれました。

 

確かにサラリーマン、雇われて働くのは嫌だが、
なら将来どうやって生きていこうかと。

 

この時点では、雇われない=独立しよう、
みたいな思考ができるわけはなく、
とりあえず勉強だけはしておこうと思いました。

 

人見知り継続中で放課後に遊ぶ友達とか一人もいなかったので、
有り余る時間の一部を利用して勉強して、テストでいい点とったり。

 

興味がないことはすぐに忘れるタイプなので、
テストの翌日には勉強したことをほとんど忘れたりしましたが。

 

そんな感じで1年が過ぎ、2年に進級。
ここでようやく転機が訪れます。

 

心理カウンセラーという職業の存在を知ったのです。

 

なんで自分はこんなに無気力なんだろうとか、
人と付き合うのが苦手なんだろうといったことの理由が知りたくて、
人間心理について調べていたことがきっかけでした。

 

本とか読んで、心理カウンセラーがどんな職業なのか。
どれだけやりがいのある職業なのか。

 

自分みたいに、人付き合いが苦手な人の力になれる。
自分で経験があるんだから、きっと誰よりも力になれるに違いない。

 

まるで、ヒーローにあこがれる子供みたいに(笑)、
心理カウンセラーに心惹かれました。

 

今思えば、何も知らない、現実の見えてない、
まさに子供の思考でした。

 

ただ、17年生きてきてはじめて見つけた夢に、
舞い上がっていたのです。

 

こうして夢を見つけ、
はじめて目標に向かって努力することの喜びを知って、
充実した毎日を送るということを知ったのでした。

 

自分でも驚くぐらい勉強して、
中学時代の遅れを取り戻し、
高校では上位10位以内の成績をキープ。

 

3年に進級し、進路を決める頃には、
推薦で大学に行けるぐらいまでになっていました。

 

こうして夢を叶える、絶対に叶うと疑わないまま、
僕は大学へ進学し人生の最下層に叩き落されることになります。

 

 

人生はじめて、遅すぎる挫折を味わった大学中退時代

 

 

この頃を思い出すのは、今でもきついものがあります。

 

僕が挫折し中退したのは、大学2年終了時のことです。
本格的に心理カウンセラーとなるためのグループワークが始まった頃でした。

 

※正確には心理カウンセラーになるために必要な、
臨床心理士という資格を取るために必要な単位を取得するための、
グループワークです。

 

正直に話せば、僕は心理カウンセラーになるためには、
勉強さえできればなれると本気で思っていたのです。

 

なので、臨床心理士という資格を取るには大学院に行く必要があり、
そのための勉強なんかは入学当初から始めていました。

 

また、大学1年は基礎科目?か何か、呼び方は忘れましたが、
一般教養的な授業が主で(英語とか)、心理学的な授業はほとんどなかったのです。

 

なので、すべてを勘違いしたまま僕は2年に進学して、
そして、人生初、遅すぎる挫折を味わいます。

 

本格的なグループワーク。

 

コミュニケーション主体の授業で、
見事なまでに僕は何もできませんでした。

 

そもそも小学生から大学に進学するその時まで、
僕はまともに人付き合い、コミュニケーションを取るということをしませんでした

 

しなくても進んでこれました。
進んでこれてしまいました。

 

そして、心理学というものの本質を、
僕はまったく理解していませんでした。

 

心理学は確かに学問です。
人を知るための学問です。

 

だから、人と触れ合い、知る努力をすることが必須で、
今まで人付き合いしてこなかった、逃げてきた僕にとって、
それは高い壁どころの話ではなかったのです。

 

レベル1で、大魔王と1人で戦うようなものだったのです。

 

このグループワークで見事にコミュニケーション不全で単位を落とした僕は、
人生初の挫折と同時に、唯一の夢を完膚なきまでに打ち砕かれ、
中退という道を選び、引きこもりとなったのです。

 

 

こうして、ネットビジネスの道へ

 

 

ここまで読んでくれる人がいるとは、
書いていてなんですが信じられません。

 

今回の記事は暗いうえに、
自分語りのようなものだったので、
正直途中で読むのを辞められると思っていました。

 

ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

 

 

ここまでが、僕の暗黒時代。
はじめて人生の挫折を経験し、心折れた時代です。

 

正直、この頃のことは今でも黒歴史で、思い出すのもきついものがあり、
聞かれれば話しはしますが積極的に人に向けて話す事もありません。

 

ですが、この頃の出来事が自分の根幹であることは間違いなく、
無駄だったとは思いません。

 

今の道を諦めることなく進んでこれたのは、
間違いなくこの時代があったからです。

 

ただ生活するため、生きるために仕事をすることは、
自分だけでなく、周りも不幸にするということを、
幼いころから理解することができました。

 

ただ雇われて人生を会社に捧げるといった生き方に、
はじめから疑問を持つこともできました。

 

多くの人が誰かに雇われて働き、
生きていくという選択肢しか見えない中で、
はじめから雇われない生き方という選択肢を、
探して見つけることができる下地があったのです。

 

そして、今ではネットビジネスで自由というものを得て、
その方法を誰かに伝えることができるようにもなりました。

 

月並みな言い方ですが、
今までの全てが今の自分を形作っているのです。

 

 

と同時に、こうして情報発信している理由の1つでもあります。

 

僕がこうしてブログ開設した理由はいくつかあるのですが、
その1つがネットビジネスで自由を得る手助けをすることです。

 

これは、ネットビジネスで自由なライフスタイルを
実現してほしいということなのですが、そうすることで、
僕のような家族を生み出してほしくないという思いがあります。

 

仕事というたった1つのことで、自分だけでなく、
周りまで不幸にすることがあることを知っているからこそ、
仕事にとらわれない生き方、周りも幸福にする働き方。

 

そんな情報も発信できると思っています。

 

 

と少し話がそれましたが、少しは水川健人という人間を伝えられたでしょうか?

 

今回お話ししたように、とにかく僕のコンプレックスは、
人付き合いの苦手さにあります。

 

ビジネスに関係する話しとかなら普通にできるのですが、
プライベートな話となると現在でも難しいです。

 

ようは、人と仲良くなるのに時間がかかるタイプなのですが、
ビジネス関連などの真面目なお話しはいくらでもできるので、
何かお悩みなどあればお問い合わせフォームなどから、
気軽にメッセージ送っていただければと思います。

 

ビジネスには関係ないお話しなどは色々粗があるかと思いますが、
それでも良いという懐の深い人は、よければ気軽に絡んでください(笑)。

 

 

それでは、改めてここまで読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

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